ゾス!という言葉が流行り出した近年と、自分らしく働こうというビジネス書が売れていた近年で、相反する時代錯誤がこれからどこに着地するのか、とても興味深くあり、一種の当事者としての葛藤すら抱えてみたいと思っている。今日はゾス!に近しいようで、やや異なるこれからの自分の目指す社会人像についてを敏感に表現してみたい。ゾス系が嫌いだった自分は、一周回りたい。おはようございます。今日は平日真っ只中の平日モーニングです。もし有給をフル活用している人がいるながら超大型ゴールデンウィークでもあるでしょう。僕は残念ながら?平日限界会社員をしております。朝7時のアラームで目が覚め、というか目を擦りながら必須に目を覚まし、歯磨きとヘアセットを早々と完了させて7時代にカフェへ向かった業務前の偉すぎる会社員です。「偉い!」という褒め言葉はいらないので応援してくれる人はぜひフォローといいねをお願いします。想像よりも本気で今お願いしています。はい。改めて、僕は26歳会社員、今年の夏に陶芸家になる男です。今週は京都やら大阪やらで予定があり、そのクリエイターとしての活動も近々noteには書き綴るつもりなのですが、ゴールデンウィークは神戸の実家を拠点として関西ワーケーションをしております。そろそろ本題に入りますね。皆さんは今話題の”ゾス系”好きですか?僕は嫌いです。いや、厳密には、好きではない!という感じです。ゾス系とは、パッションで全てを解決しようとする脳筋YESマン..しかも行動的なゾスというより思考を放棄する上に特段すごい行動量もない表面ゾスが多いようにもomou…いや言いすぎた。ゾス=パッションが満ち溢れた元気な体育会系的だとウェブには書いております。僕らの幼少期には微かに残るパッション昭和感があり、この停滞する日本経済の中で罵倒すら受け入れて量をこなす、熱量高くドンドンいけ!という雰囲気があったと思います。しかし時は徐々に変わり、体罰はもちろんのこと、マスメディアの圧力や意識高い系という部類すら揶揄され、楽観的悲観ツールの反映によって剥がされる潮流となってきました。どちらかというと"強い"より"上手い"の方が重宝されるような、そっちに憧れが傾くような令和になってきたんだと思います。そんな中で僕は、昨日ゾス系もいいな!って急に思い、自分の行動にゾス系を上乗せする舵切ることにしました。明確にはゾスではないので、これは終盤でお話します。時代の流れはこう昭和ゾス→平成でゾス卒業→令和な自分らしさ→ネタ的な表面ゾス再来一周回って、体育会から脱成長がインフラ化してきた令和に、あえて再び熱を灯しに行ってみようと思います。なぜそう思ったのかオーバースペックはもはや到達している直近で半年間の仕事の振り返りをしたり、マネージャーとライトに会話したのですが、自分はもう良いフェーズに到達しているのではないか?と傲慢なメタ認識をしました。どういうことか。自分の能力やアウトプットを振り返り、言語化して、第三者に評価してもらう。就活生や会社員であれば一度は経験したことがあるであろうこの連続的行為をすると、自分は去年から成長したことを当たり前のように認識する。褒められもする。一方で(自分で言うのは変なのだが、そんなメタ認知は置いておいて)、大学4年生から個人事業をはじめ、社会人も5年目である自分は、割と時間と命と娯楽を削って人の9倍くらいの努力アウトプットをしてきた自負はあるので、ある程度水面下でゾス系を当たり前のように実施した上での現在となっている。その水面下背景を知らずに表面だけ真似たり憧れてくる後輩もいるのだが、表面だけ掬うと3ヶ月も経てば「あれ..同じキャラ・言動のはずなのに俺全然仕事できない..」と周囲からも遠ざけられてしまったり、転けてしまうので、ぜひ表面真似は辞めることを薦めたい(そんな表面を真似する後輩にはきっとこのnoteは届いていない)。ゾスを5年間してきたらそりゃ成長もするし、逆に言えば社会人5年目となったこのタイミングでかなり圧倒的経験と苦痛を解釈してきた。きっと35歳over水準と言える。昨日成長を褒められたものの、俯瞰視すると、僕は良くも悪くもオーバースペックと言われる道に入りつつあるのではないかということだ。自惚れの危険性を配慮して控えめに言うとしたら、そろそろ気付かないうちにオーバースペック一直線のキャリアに沼る可能性があるから気をつけろよ!というタイミングに来たという危機フラグを自分に対して立てたい(ただ、これは馬鹿みたいに睡眠時間も削ってゾス生活をこれまでしてきた自負があり、人よりも5.10年ほど前倒したビジネス進捗をしているつもりので、同年代に間違った共感をしてほしいわけではない)。大前提、一年前から成長実感と評価もあるので成長が止まっているわけでもなければ、成長余白がないわけでもない。そんな傲慢なnoteではない。ただ、プレイヤーとしてのスタンスや能力には一定の鈍化する水準天井があり、そこから先は自分以外の能力を向上させるマネージャー、もしくは自分の能力ではなく業界における専門知識を向上させるプロフェッショナルという界隈に入るのだと思っている。そして、良くも悪くも、AIが来たことで、ある程度の自他のビジネス能力向上および専門知識は不要となり、更に能力値という縦の座標に置いてY字に分岐するマネージャー・プロフェッショナルという道は僕にはあまり必要ないとすら言えてきそうだ。ここまでを踏まえて、良い問いが生まれてきそう。ある程度能力値が身について、オーバースペックに到達しそうになっている自分が、次に開花させるべき芽はどこにあるのか?令和は多様。でも、どう考えたって野蛮一択。昨日面白い話をした。有形商材ではアーティスティックな能力を投影させれる。無形商材ではゾス的な身体性のある能力が投影されやすいということ。当たり前ではあるのだ、商材や業界・領域でのアウトプットテイストによって活きるキャラクターや強みが異なるのだ。僕はどちらかというと今の環境においてはアーティスティックな能力とキャラクターとして認識されており、確かに最近は手触り感を持ちつつも、流れるような表現が得意である。一方で、オーバースペックの領域に到達し、AIが完全到来する時代にて必要となるのは、きっと身体性と、人と直接顔を合わせる2つくらいだと思われる。自分はよく今の部署で尖っていると言われるのだが、きっとそれはキャラクター的な尖りや事象に対する思考の深さとその解釈から出るフラットな忖度のない意見が起因していると客観視をしている。一方で、極端に既存レーンからはみ出して何かを放棄するほどの偏愛による暴走をしたり、必ず成し遂げたいことに対して周囲の人を拉致して強引に巻き込むなどの身体性や物理的に目に見える尖りは少ないように思う。まだ、優しい日本人らしさが根底にあるのだろう。そんなこんなを沢山会話した挙句、いやお陰で、次の僕のテーマがくっきりと見えてきた。完璧主義者にできることは限られている。身体的に、「野蛮であれ」ということです。うん、とてもわかりやすい。ビジネススキル、アーティスティックを持ち合わせた自分であるならば、ここに来て一周回ってゾス系のスパイスがエッジを効かせてくれるわけだ。ゾスとは以下のようなニュアンスで冒頭に記載したと思うが、「野蛮」とは、パッションと身体性を持ち合わせて、意図的に未開拓の領域にガサツに突入することだと認識しておこう。そう、具体的には以下などを手始めに今月から始めていきたい・睡眠の質よりも、強引な目覚め力を優先する(起きれば何でも良い)・張れる時間はとことん好きな制作に費やす(思考は減らしてOK)・アナログに人と会い、話し、優しさを注ぐ(まずは会話してみよう)・粘り強さとパッションを持って誰よりも営業する(手配りOK)実際に既に毎日睡眠時間をこれまでより減らして、昨日も今日も起床後3分で朝準備を終わらせ、7時3分から活動を始め、マクドに行き活動、タリーズに行って活動、その後本業をしている。また、クリエイターとして会っておきたい人・行くべき箇所には早速平日休日問わずいき始めている。密着されたら、僕が会社員をしているとは普通は気づかないくらいだろう。まとめると、極端な数・時間・身体性で勝負するということだ。逆に、令和のZ世代としては、面白くなってきた感じがしないか?多様性が出てきた時代に、これまでの自分の個性や人間性・能力を安心材料とし、大きく前進していきたい。予定調和なんぞおもろないとすら言い切って。今日が楽しければ、明日に期待を持てるならば、半径1mの人が喜んでくれるならば、それで良い。もっと、野蛮な男であれ。必ず、陶芸成功させるゾ。今月からまた新しい仕事も増えそうだゾ。今週もみんな頑張ろうな!-最もゾス系から程遠い26歳Z世代より-noteから記載:https://note.com/ssszzzz/n/n1fa5b96470fe